児童買春を伝えるにおいて



私が考える 児童買春を伝えるにおいて絶対的にしてはいけないことは
同情をひく事だけで終わらせないこと である。

「かわいそう」と思わせる気持ちは、聞く人の一瞬の心を惹くけれども、次の瞬間には忘れてしまうのである。

それではどうしたらいいのか?
私自身が、様々な人たちと今まで児童買春について語ってきて云えることは
それぞれの人に合わせた興味のある分野から、児童買春にいきつかせる方法である。

旅行に興味があれば、旅先での話から、
下ネタに興味が在れば、日本人の性の観念の変化の仕方から今日の児童買春の話を持ってくる。
国際関係に興味があれば、日本が国際化するにおいて様々な問題を現在も尚有している。日韓問題、戦争問題、そして東南アジアでの児童買春も一つの問題であると

そのような話につなげることによって、そのジャンルに興味のある人はもっとそれを詳しく知りたくなる。
その結果論として、児童買春の現状を知り、日本人が東南アジアで未だに買っていることを知る。

そういう知らせ方をすれば、それを知った人は またその人の知人に話をするだろう。

ただ可哀想 で終わってしまえば、 そこから伝わることは 児童買春=可哀想でしか残念ながらなかった。効果があまり得られないのである。

それぞれの人が自分にあった問題の捉え方をしてもらってこそ、多くの人に活動の内容を知ってもらえる。
そういう広がりをこの児童買春と言う問題は有しているのだ。

もちろん私が基盤にしている理念は、「日本人、そして日本に住む人たちが児童買春をしなくなること」であるが、それを伝えるためには多様性が必要であり、多用な知識が必要なのだと思う。

ただ、児童買春をがむしゃらに研究しているだけでは、伝わるものも伝わらない。
たくさんのつながりをつくり、その中で興味の和を自分たち自身も広げて行き、その中で児童買春との接点を見つけて行く。

じつは児童買春と言う問題を扱う中で、そこが一番の自分自身の面白いと感じるところでもある。(面白いといったら語弊かもしれないが。)

なので、これを見た人は是非実践してもらいたい。w
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by sunproexpo | 2005-08-07 04:57 | 娯楽情報


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